温故知新

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月に1回、中国古典を学んでいます。

小学生の頃、横山光輝先生のマンガ『三国志』が大好きでした。

お小遣いをもらう度に書店に走り、全60巻揃えたものです。

そして何度も何度も読み返しては、英傑たちの物語に心を躍らせた記憶があります。

それ以降、『水滸伝』、『項羽と劉邦』、『チンギス・ハーン』、『史記』、『殷周伝説』と、横山光輝先生のマンガが自宅の書斎には並んでいます。

マンガから入ったのがよかったのでしょう。中国古典を読むうえでは、その人物像、歴史的背景、時代の変遷などを捉えておくほうが理解しやすいです。

だから、今は『キングダム』(原泰久著、集英社:週刊ヤングジャンプ連載中)なども中国古典の入り口としては最適だと思います。

 

さて、なぜ中国古典を学ぶのか、ということです。

4千年以上を誇る中国の王朝の歴史は、ひと言で言えば「勃興と滅亡の繰り返し」です。

そしてこの興亡の原理は現代においても通用するものです。

撥乱反正、創業垂統、継体守文、因循姑息、混乱破滅、という栄枯盛衰の流れの中で、何に気をつけなければならないかを教えてくれます。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

という言葉もあるように、歴史から原理原則を学ぶことが大切だと思います。

「それ学は通(つう)の為に非(あら)ざるなり。

窮して困(くる)しまず、憂えて意(こころ)衰えざるが為なり。

禍福終始を知って惑わざるが為なり」(荀子)

そして今は『論語』を勉強しています。

孔子の名言を深く掘り下げていくと、なるほどと感動します。

人物となるには、『論語』のなかの孔子の教えをしっかり咀嚼しなければならないと反省します。

「学びて思わざれば則ち罔(くら)く、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」

身が引き締まる思いです。

蟹が甲羅に似せて穴を掘るのと同様に、会社はトップの器以上に大きくならないといわれます。

自分の器をひろげるためにも、常に学び続けなければならないと思っています。

そして、それはノウハウ本などからの知識偏重の学びではなく、哲学を学ぶべきだとも思います。

中国古典からの学びは、私にとってその哲学を与えてくれる最良の師なのです。

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